日月神示 ひふみ

全宇宙的視座から世界を探求

五十黙示録  04

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻
昭和36年5月6日) (全19帖)

碧玉之巻では5つの岩戸閉めがあったことを以下のように説明しています。

イザナミ神の黄泉国下り
②アマテラス神の岩戸隠れ
スサノオ神のネの国追放
神武天皇人皇即位
➄仏魔の襲来

第十帖の最後では、④と➄について述べられていますので引き続き解説します。

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。」

非常に難解な記述ですね、神の世の話から理解せよとなるとほとんどお手上げです。

そもそもこの地球が修復された当時には、アマテラス大神とその眷属(金星人)144,000人しかいなかった様に思われます。
その中間項として「炎の主方(クマラ)」と呼ばれる多分副官のような補佐役もおられたようです。

アマテラス直属の臣民となると、金星身魂ということになり、彼らが本来的には「日本人」と言うことになります。
金星移民団の立てた王国、それが日本国という意味であり、逆に言えば、日本神界とは金星身魂が構成している最上位の階層と言えます。

かつてイエス大師に導かれ謁見を賜ったサルタヒコ神も伊勢でご降臨なされた日本の神々も金星出身の方々であったであろうという事です。

われわれ人魂も何十万年何百万年もの進化の果てで、ようやく悟りを開いて仏界に昇り神界の最下層に居住するようになるものと思います。
今現在では地上は長らく人の世であったものが神の世に成り代われるようになった訳です。

天孫とは誰なのかと言えば、高位霊格の金星身魂か副官のクマラしかいないと想像できますから、日本国天皇は霊的には金星霊系を意味していて、その天皇に服属する日本国民(人魂)とは間接的に地球霊王アマテラス神の指導指揮下にあるということです。

ところで妖精たちは物質界には転生しません、彼らはエーテル世界での経験を踏まえて「悟り」を開いて上昇していきます。
金星身魂も本来的にはエーテル界を下限とする進化様式をとっているために、専任者以外は天孫という形でしか物質世界に転生していないものと私自身は考えますが、本当のところは分かりません。

神武天皇が初代天皇として即位されたのは、紀元前660年2月11日(旧暦1月1日)とされていて、この時に地上での「日本国家」が成立している訳ですが、不思議なことに「神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれた」と書かれています。

神武天皇人皇だと言っていますが、これは中国の神でもあることを読み解けとの暗示であろうと思います。
つまり神武東征とは日本列島での物語ではなく、国家を失ったユダヤ民族のアラブを始点とする日本列島までの移住、戦いの歴史を語ったものと思います。

紀元前722年に北イスラエルは滅亡し、10支族は離散してしまいますが、神武天皇の即位が紀元前660年なので、アジア大陸を東に逃れる期間に民族を再び結束させたものと考えられ、その地が中国(当時は西周から東周への移行期)であったからこそ人皇とも呼んでいるのではないかと思います。

五十黙示録  03

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻
昭和36年5月6日) (全19帖)

第十帖のつづきとして、語られているのはイエス・キリストに関するものである。

いわく、「次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。」

エス大師は世紀末大審判を実行に移す天の神の一角である。
シャンバラ帝国における、13人の大師評議会において輪番制の役職である現代マハーチョハンであり、霊王に成り代わり地上支配権を行使されている方なのである。

先代は釈迦大師であり、2500年の期間毎に世界全体を指揮するマハーチョハンは入れ替わって行くのであるが、流石に世紀末大審判を実行に移せる方はこの大師しかなく、霊王もそれを見越して現在の輪番体制を作られたものと思う。

「命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。」

アラブとは北アフリカからアラビア半島までのアラブ語圏の事なのだが、主要国としてはエジプト、サウジ、イラク、シリア、レバノンパレスチナがあり、つまりはイエスの活動したユダヤ人国家イスラエルをここでは暗示しているのである。

素盞鳴命とはイスラエル建国のために出現した人物、救世主イエスの事である。
彼はユダヤ人の手によって偽救世主と見なされ公開処刑されてしまったが、実際には裏切者ユダや二人のマリア達と共に地下活動を通じてイスラエル国家の樹立に動いていたのである。

「素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。」
ここは少し難しいのだが、地上に出現し弟子のマグダラのマリアと婚姻し、十数名の子孫を残したイエスと言う人物。
生と死の拘束力の中で十字架を背負いもがき苦しんだ生身のイエスと言う人物がいる半面、神の化身として絶対的な威神力を発揮して人類救済神として活動しているイエスと言うひとり神としてのありさま。

地上人類は前者しか知らないのだが、それでも信者達は天界から働きかける神イエスをそれとなく感じてはいるのだろうと思う。

第四帖に、「素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。」とある。

おおよその見当としては、「滄海原はイスラエル」(イスラエル王イエス)のこと、「蒼海之原はイギリス」(イギリス民族国家の最高指導者イエス)のこと、「天下は全人類」(マハーチョハン・イエス)のことを指しているのであろう。

阿弥陀教の阿弥陀とはイエス・キリストの事であり、西方浄土の西方とはこの方が受け持たれたイギリス民族国家の事なのである。

おそらく今から500年をかけてイエス大師が理想とされる西方浄土が完成するものと予想するのだが、親鸞が起こした浄土真宗などあまたの念仏信者たちはこのイギリス民族国家に転生すること(欣求浄土)を願って死んでいったのである。

 

 

五十黙示録  02

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻
昭和36年5月6日) (全19帖)

第十帖に、
「岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ」
「夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。」

夫神(伊邪那岐命)とは地球の事、妻神(伊邪那美命)とは月の事である。
そして火の神とは原始地球に衝突した仮想天体「テイア」の事である。

「その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、」
「妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。」

原始地球にも地球全体を身体とする意識体が存在していて、その神は地球と月に分離してしまった事態をとらえて、「千引の岩戸」と呼称したのであろう(神話上の命名)。

この地球意識には地球自体を補修する力はなく、造物主の化身であるアマテラスを地球霊王として迎え、破壊された地球の修復に当たらせたのである。
環境を整えた霊王はやがて鉱物・植物・動物・人類すべての意識の創造進化の原動力となって働き始める。

「千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節」とは月と地球の未来永劫に渡る安定した重力関係がまもなくもたらされることを語っている。

人類の転生がないと月は地球の引力から離れてしまい、この太陽系における混乱は、やがて全宇宙の惑星軌道に大混乱をもたらすことになる。

「次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。」

最初の岩戸閉めは「ジャイアンインパクト」、つまりは地球の月との分離。
二度目が霊王の人類支配権の喪失。
もちろんダマシタ神などというものは存在していない。
造物主は霊王の廃嫡を求める人類指導者たちの要請を受け入れ、他の神霊たちに人類の指揮権を与えたのであるが、こうした状況をダマシタ神として神話的に語らせたのである。

五十黙示録  01

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻
昭和36年5月6日) (全19帖)

第五帖に「五」に関する話が出てくる。

いわく、「中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。」

以前動物魂の話をしている時に、五分裂によって魂体が増殖していることを話した。
霊視したのは妖精たちであったが、彼女たちは神の使者によってエーテル身体を五分裂させられ、その五分体に自己意識も五分裂させられて移り住むと言う状況に追い込まれてしまう。(五分体=五分魂)

最初は「寂しい」と言う感情からこの状態を嫌がり、すぐに一人の自分に戻ってしまうのだが、使者が来るたびに叱責されて五分体・五分魂の状況に戻されてしまう。
だが時間の経過とともに個我意識に変化が置き始め、他の分体を他者として認識し始める。
彼女は次第に自己意識に目覚め、もはやかつての自分には同化しないと決めるのである。
こうして魂の「弥栄(いやさか)」が始まる訳である。

我々人魂も同様なのである。
五分体・五分魂によって増殖を起こし、今の「私」を出現させているのである。
人類史上のどこかで今の「私」の五分魂が起きて最終的な「私」の来歴が記されるようになった訳である。
「私達」個々人の本当の誕生日はその時なのである。

この五分裂はエーテル世界で進化を継続しているときに起きていると思われるのだが、では今現在のこの物質世界で五分裂(五分体・五分魂)を起こすのは不可能なのかと言えばそうではないかも知れない。

我々が五分裂を止めたのは「私」が霊的に完成したからではなく、重力装置としての人類人口(魂)が適性値(個数)に達したからであろうと思う。

神の世界計画が「弥栄」だとして、そのすべてに「五」の型が基本となると言う話をここではしているようである。